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2010年 04月 29日
四月廿九日 熱田神宮參拜 及び 殉國七士墓前祭參列  於 愛知縣

 同血新聞社行動隊長・坂信二は、ひとり愛知縣名古屋市熱田區神宮に鎭坐なされます熱田神宮を參拜。


 參拜後、殉國七士墓前祭に參列。


 殉國七士廟とは、幡豆郡幡豆町三ヶ根山々頂に建立されたるの墓碑である。

 殉國七士とは、
東條英機、土肥原賢二、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章、廣田弘穀の七名を指して云ふ。

 我々は殉國七士の遺骨に關して、鹽田道夫氏著『天皇と東條英機の苦惱』(「日本文藝社」昭和六十三年發刊)より詳しく識ることが出來る。
 著書にて鹽田氏は曰く、

『全部の遺體が燒けたのは、一時間半ほど經つてからだつた。窯の扉が火夫によつて開けられ、長い鐵のカキ棒で白骨が取り出されると、火葬場長の飛田は、七人の遺骨の一部を七つの骨壺に入れて他の場所に隱した。
 ところが、この隱した骨壺は、誰かが■級戰■(昭和殉難者のこと)を憐れんだのか、線香を供へたために、香り煙のために監視の米兵に見つかつてしまつた。このため骨壺は米兵の手もとへ移つた。米兵は、鐵製の鉢の中へ遺骨を入れると、鐵棒のやうな物で上から突いて、骨を細かく碎きはじめた。それはまさに死者にムチを振る慘い行爲であつた。
 米軍が■級戰■の骨を碎いて、空から東京灣へ撒くといふ噂があつた。それは日本人が英雄崇拜の對象になるのを恐れて海にばら撒くといふのである。遺骨を隱すことに失敗した飛田は、内心穩やかでないあせりがつた。
 骨を碎き終へた米兵は、黒い箱を七つ出して、碎いた骨を入れた。そして箱の上に1から7までの番號を書入れた。この遺骨の入つた箱は、■級戰■の遺體を巣鴨から運んできた米兵が持ち去つた。臺の上に灰と一緒に殘つてゐた小さな骨は、米兵の監視つきで火葬場にある共同骨捨て場に捨てるやうに命じられたのである。
 ■級戰■の遺骨を奪ふ計畫は。小磯國昭大將の辯護人だつた三文字正平によつて進められてゐた。三文字辯護士は、米人辯護士のブツウエツトに相談し、彼を通じてGHQに處刑された■級戰■の遺骨を遺族たちに渡せるやうに嘆願してゐたのである。ところが、マ元帥は一向に首を振らなかつたため實現はしなかつた。
 そこで三文字辯護士は、巣鴨プリズンにおいて處刑された■級戰■が、久保山で火葬されることを探りあてた。三文字は火葬場のすぐ上にある興禪寺を訪ねて住職の市川伊雄と會つた。市川住職は東京裁判にも傍聽に行き、裁判の不公平さに怒りを抱く一人であつた。三文字辯護士が市川住職に協力を求める説明にも熱が入つた。
 この■級戰■の遺骨が米軍の手から戻されないと、國民が不公平だつた東京裁判の結果を認めたことになる。彼らの命令で戰場に驅り出された三百萬の英靈さへ、辱めを受けて浮かばれなくなる。市川住職も日本人として耐へがたいことだつたので、三文字に協力することを引き受けた。市川住職は、火葬場長の飛田を三文字に紹介したのである。
 久保山火葬場の内部に働き人の協力で、はじめは■級戰■の遺骨を分けて隱すことができたのが、米兵の監視に見つかり失敗した。今度は、火葬場の共同骨捨て場に捨てられてゐる■級戰■の骨を持ち出さなくてはならない。次の新しい骨が捨てられるまでは、一應、少しは他の骨も混ざつてしまつたとはいへ、七人の遺骨は殘つてゐる。
 これを盜み出すのは十二月二十五日の夜と決めた。米軍の監視がクリスマスで氣がゆるんでゐる隙に實行しようといふのである。暗くなり、頃合を見計らつて、三文字辯護士と市川住職は勝手知つたる飛田火葬場長の案内で火葬場の骨捨て場に忍び込んだ。
 三人は米軍の監視に見つからぬやうに、闇夜の中で外套を頭からかぶり、身をかがめながら作業を始めた。三人は暗がりの中で音を立てないやうに、根氣よく手探りで遺骨を探し集めた。七人の遺骨は全體の一部でありながら、大きな骨壺に一杯分を集めることができた。
 火葬場から盜み取つてきた遺骨は、濕氣をとるために再度燒かれた。遺骨のことが世間に漏れては米軍の咎めを受けることになる。そこで三文字の甥で、上海の戰線で戰死した三文字正輔の名前を骨壺に書いた。これを興禪寺に預けて供養することになつたのが、■級戰■として處刑された七名の祕められた供養であつた』と。[文中■及び括弧()は筆者による]


 三文字正平辯護士によつて開始された遺骨奪還運動は斯うして實を結び、昭和卅五年八月、三ヶ根山にも分骨された。墓碑の建設を巡つては贊否ともに不謹愼なる言動が目立つたやうであるが、今は昭和の御代を偲びつゝ、七士の御靈鎭まらむと熱祷するあるのみ而已。百拜

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by douketusya | 2010-04-29 21:39 | 報告


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