2013年 07月 02日
六月廿七日 伊勢圀周遊 
           ◎橘守部翁生誕之地見學(於三重郡)↓↓↓
              http://www.geocities.jp/gakudoh/moribe.html
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           ◎谷川神社參拜(於津市)↓↓↓
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           ◎谷川士清翁反古塚(谷川神社境内)↓↓↓
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◇反古塚(ほごつか)石碑裏の士清翁歌に曰はく、
「何故爾碎伎志身曾登人問婆其禮登答牟日本玉之譬」と。
○なにゆゑにくだしきみぞとひととはば、それとこたへむやまとだましひ
◎何故そんなに努力(勉學)するのですかと問はれゝば、私は日本玉靈(やまとだましひ)を究めるためです、と答へるでせう。

           ◎谷川家奥墓墓參(仝)↓↓↓
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           ◎谷川士清翁舊宅見學(仝)↓↓↓
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◆谷川士清翁の略年譜
寶永六年   1709 二月二十六日伊勢國安濃郡八町(現津市八町三丁目)に生まれる
享保十五年  1730 京都に遊學、松岡玄達に本草學・儒學を、福井丹波守には醫學を學ぶ
享保十六年  1731 垂加神道を松岡仲良、その師玉木正英に學ぶ
享保二十年  1735 歸郷し、洞津谷川塾(國學の學塾)、森蔭社(神道の道場)を開く
寶暦元年   1751 「日本書紀通證」全三十五卷完成。第一卷附録「倭語通音圖表」を發表
寶暦十二年  1762 「日本書紀通證」全三十五卷を出版
明和八年   1771 「倭(和)訓栞」の草稿を本居宣長に送る
安永元年   1772 「倭(和)訓栞」の編者に努める。我が國最初の五十音順の國語辭典
安永三年   1774 「勾玉考」を出版。「讀大日本史私記」を著はす 
              (※愚案。「讀(とく)大日本史私記」が正しく、一部ネツト等で「續」「続」と記するあるは誤り也)
安永四年   1775 五月古世古明神境内に反古塚を築く(五月營家時有緑金蝉三日聯節而出呼爲玉蟲家)
安永五年   1776 十月十日逝去 福藏寺に葬られる。(淡齋谷川士清之墓 孝子士逸謹建)
明治二十年  1777~1887 翁の遺志を繼いだ歴代子孫により「倭(和)訓栞」の出版が續けられ完成
大正四年   1915 十一月十日 從四位追贈される。翁の功績が評價される
                        (參考:谷川神社パンフ)




           ◎大日本誠心義塾・平田安幸代表、皇道日報・近藤勝博兄と會談(平田代表宅)↓↓↓
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by douketusya | 2013-07-02 14:28 | 報告


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